2014/02/12

八谷先生

今日の中日新聞の「私の先生」という欄。横浜市立大学教授の坂智広さんという方が恩師八谷先生について語っています。

この方は私が卒業した熱田高校の十年後輩のようです。
実は私も八谷先生に教わったことがあります。当時まだ若い先生は、教師風を吹かさない親しみやすい先生でした。

卒業して数年後のこと。電車の中で「おーい」と声がするので見ると八谷先生でした。
教え子をしっかり憶えておられたのです。「先生は、僕みたいに地味で目立たない真面目だけの生徒まで憶えておられるのですね」と言いましたら、「地味で真面目だけの生徒はそんなこと言わない」と仰いました。

それから三十年以上経った時、私は縁あって愛知学院大学のモーニングセミナーの講師をしました。その時演壇の下から「おーい」と呼ぶ声がしました。
振り返るとお世話係の福井教授と並んで、八谷先生が立っています。驚く私に向かって先生は飄々と、「パンフレットで君の名前を見たから来たよ。俺、今、ここの短大の教授なんだ」。

八谷先生が明和高校の校長を退官される時、新聞に名物校長退官の記事が大きく掲載されていたので定年のことは知っていたのですが、まさかこんなところでお会いするとは思ってもいませんでしたから驚きました。

今日の新聞記事を読むと、八谷先生が多くの生徒に影響を与えていたのがわかります。私は英語を一年習っただけで、先生は担任でも何でもありませんでした。しかし地味で目立たない真面目だけの私のことを憶えておられました。それはつまり先生が生徒に対して深い関心を抱いて下さっていた証拠でしょう。

私は新聞に出ておられる教授のように賢くなく英語もできませんでしたが、やはり八谷先生のことは心の深層に良き思い出として残っています。

箸置き



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Imagine - John Lennon (Cover by Playing For Change - Subtitulado Inglés ...

『俳句とからだ』第90回目送付

所属している俳句結社誌「藍生(黒田杏子主宰)」の編集部にメール添付で連載中の『俳句とからだ』の原稿を送付。

これでちょうど連載90回になる。

ついでにHPのアーカイブスへ88回まで掲載した。

89回と90回はまだ結社誌が出ていないので掲載できない。



2014/02/04

施設探しと入居

今日、10月から担当していた95歳独居生保の女性の施設入居が決まった。

昨年末から物盗られ妄想やガスの不始末、隣人が忍び込むという被害妄想が強くなり、本人も世話をしていた遠縁の方も独居で生活するのはもう限界だと音を上げ始めたのだ。

本人もここは泥棒が入るから怖い、何処かへ移転したいと頻繁に電話をして来る。私は大晦日、正月明けと訪問し、頻繁にかかってくる電話にも対応した。しかし「もう独居は無理だ」と仲が悪く疎遠だったその方の息子さんも施設入りを強く希望し出した。

私は1月初め、事業所とその方の家で担当者会議を行った。さらに1月半ば、今度はもっと人を集め、区役所の保護係、疎遠だった息子さん、大家さん、町内会長さん、お世話をしていた知人女性、介護事業所を呼び、10月から今日までの支援経過をたくさんの資料を用いて説明した。

その結果、保護係は「もう独居は無理でしょう、ご本人も施設を規模しておられますし」と、このケースを役所へ持ち帰って上司と相談すると腰を上げてくれた。実は私は若い保護係が上司を説得しやすいように朝方までかかって丁寧な資料を作成しておいたのだ。

数時間後、保護係から「上司と相談した結果、独居は95歳という年齢を鑑みても困難、施設入居を認めます」というところまで漕ぎ着けた。

しかしここからが大変だった。区役所は何ら資料を提出することなく、施設探しはケアマネさんにお願いすると丸投げしてきた。しかもいくらまでならお金を出せるか尋ねても個人情報だからと教えてくれない。

そこで地区の包括支援センターに生活保護でも入れる施設の資料はないかと尋ねた。答えはのNo。こちらで電話をかけまくって探せという。

結局、施設捜しを保護係から丸投げされ、支援センターの協力も得られず、困窮しながら電話をかけまくることになった。幸い生保対応施設をまとめた民間のHPがあったのでそれを頼りに受話器を手にした。

運良く同じ区内に受け入れ先がみつかった。そこの若い施設長が必死で頑張って区役所と施設の上司と折衝してくれ、無事入居に至ることが出来たのだ。私もその間区役所へ行き、診断書のために医院へ顔を出し、本人、お世話係、息子さん、施設長の中に立って電話で頻繁な応対を行った。

正月を返上して彼女のために膨大なエネルギーを費やした事例がともかく終了した。後はこの施設が終の棲家として心地よい場であることを願うばかり。

今回の件で区役所も支援センターも全く協力してくれないことを学習した。ケアマネと事業所で情報交換など助け合うしかない。
そのことが分かっただけでも貴重な経験が出来たと自らを慰めている。