2013/05/29

ナーシングホーム利用者様のお部屋の牡丹、紅白。

ケアマネ更新研修の予定決定。来年まで余裕が有るが今年33時間履修すれば来年が楽。

思い出のグリーングラス

たまたま見つけたサイト。

思い出のグリーングラスという歌がふと脳裏に浮かんで見つけた。


そしてその歌の背景を知って驚いた。


死刑囚の心情を歌い上げる歌だったとは。こうした歌がアメリカには多いらしい。

死刑囚は単純に考えれば唾棄すべき存在かもしれない。


しかし、よく考えれば僕だってあなただっていつの日か死刑囚になるかもしれない。


人はみな、悲しいかな、その可能性を秘めた存在だ。


そうした自己相対化能力があれば死刑囚に心情を寄せる歌があることに何ら問題はない。


自分は死刑囚には絶対ならないという思いこそ思い上がりに他ならないのだから。


http://www.magictrain.biz/wp/?p=12120&cpage=1#comment-2317

2013/05/24

アマリリス

アマリリス

アマリリス

White amaryllis flowering

白昼、強い日差しの下、ホワイトアマリリスが咲きました。

まずは大輪が二つ、まだ後が控えています。

葡萄の実 小さい房が一人前

オリーブ満開

今朝のアマリリス

2013/05/22

開通

20年以上前から工事が行われていた覚王山日泰寺裏のパイパス。
久しぶりに通ったら完全に開通していました。
5月11日に開通式があったようです。

ここが20年前、里山だったとは想像もできません。


写真中央左側の森の辺りに鉈薬師があります。

鉈薬師は尾張徳川家御殿医張振甫の住居跡と円空仏で知られていますが、現在は安全のため封鎖され、日泰寺の市の日のみ開放されています。
ここの木にはカブトムシが集まるので夏の夕方には子どもたちが採集に来ていました。

出来上がった道(池内猪高線)を水道みち緑道から日泰寺裏まで歩いてみると結構な距離があります。

里山の破壊や多くの家の立ち退きなど市民の生活に深く関わった末の地味な開通。

果たして今日、この道に意味があるのか否かは不明ですが、出来てしまえば街が動くことでしょう。景観は橋脚の下も含めて市民の場として工夫され美しく整っています。

アマリリスと揚羽の幼虫


白アマリリスの蕾が急に大きくなりました。
大きいのがひとつ、あと葉陰にふたつ膨らんでいます。
もうまもなく開花することでしょう。


昨年秋、越冬を楽しみにしていた休日診療所のアゲハチョウの幼虫。
定点観測して蛹になるのを楽しみにしていましたら、ある日、棲家にしているミカンの木がばっさりと根本から切られてしまいました。

がっかりしていましたら、春先にはまたどんどん成長し、あっというまに葉をつけ出しました。
今日、前を通ったらそこに立派な幼虫が数匹いました。

また定点観測の再開です。

2013/05/20

遊民 第7号

敬愛する三嶋寛さんから同人誌『遊民』が届きました。

志の高い、しかも内緒ですがさほど若くない数名の人たちが創刊された『遊民』。高いレベルを維持したまま第7号まで到達しました。

同人方々の熱い思いが伝わってくる雑誌です。



三嶋さんの書かれた論文は「日本とはどんなことばだろうか」。
副題は「私たちはなにを話し、聞き、書いたり読んだりしているのか」。

古代から現在まで私たちの国に伝わる実に身近であるはずの日本語や国語の構造を内外の眼を通して再確認しようという力作です。

文字を持たない古代から漢字を表音文字として流用する時代、そこから平仮名や片仮名の派生とそれらの入り混じる独特の表記体系。

さらに黒船渡来より改めて日本の言語を異国へ明らかにしなければならなくなった衝撃。ここで日本人は初めて日本の言語を意識したのではないか、なぜなら当時まだ日本の言語は地域や階級によって統一されていなかったからと説明されています。

意外なことに、明治の終わり頃(1904)やっと国定教科書が作られたそうです。そして国語を通じて国家意識の教育もなされ、国語教育を通して日本人が生産されていきます。

日本語という言語は歴史とともに大きく変化しています。
実際私には日本語で書かれたはずの江戸の古文書を読むことができませんし、明治の小説でさえ歴史的仮名遣に苦戦します。今日明治の小説として読んでいるのは現代文に翻訳されているから何とか読めるのです。

俳句は今日でも多くの人が歴史的仮名遣で書いていますが、それは俳句の生まれた100年前を踏襲しているに過ぎません。

もちろん英語やドイツ語、フランス語も歴史の中で変化しています。シェークスピアなどの古典は勉強しないと読めないと聞きます。

ところが英語は英語、ドイツ語はドイツ語であって「国語」とは呼ばないのだそうです。
そこに日本語と国語の不思議な関係。両者の間に意図的な何かが存在すると読み取れます。
三嶋さんはその辺りを丁寧に掘り起こしておられます。

ぜひ読んでみたいと思われる方は上の写真の連絡先へどうぞ。
あるいは版元の風媒社まで。


能の旅人

高校の後輩で能楽師の中所宜夫さんから「能の旅人」の案内が届きました。

今回、中所さんは後見をされるようです。

今回の公演は私でも名前だけは知っている『弱法師』。

会場 西区幅下の藤田舞台。

日時 平成25年8月4日日曜日。13時と15時半の二回公演です。

全席指定 5000円

申し込み方法は掲載したチラシを参考になさって下さい。

写真をクリックすると拡大されます。

2013/05/18

今日のBalcony

毎日眺めているBalcony。

瑣末なところに意識を向けると日々発見があります。


左上の写真:薔薇は満開。大きな花を次々に咲かせています。

右上の写真:今朝、開花しているオリーブを見つけました。小さな花が一つ開いています。お分かりでしょうか。


下の二枚:スグリの実。エメラルドの様に澄んだ翠でしたが、突然真紅のルビーに変色しました。
葉隠に覗いています。角度を変えると二個ありました。


2013/05/17

スグリの実

サクランボ

俳句甲子園参加校速報

今年の俳句甲子園参加校の速報がHPに出ています。

Facebookの俳句甲子園から連絡がありました。


第16回俳句甲子園の報道関係者向けニュースリリース「参加申込み状況(速報)


名古屋会場における地方大会は

 岐阜県立飛騨神岡高等学校

 愛知県立幸田高等学校A

 愛知県立幸田高等学校B

 名古屋高等学校A

 名古屋高等学校B

の三校5チームの参加となります。

飛騨神岡高校と幸田高校は常連。特に幸田高校は過去に二回準優勝している強豪です。

もしかしたらさらに静岡から

 浜松学芸高等学校

の参加があるかもしれません。


大会は6月15日土曜日。

私も審査員の名に恥じないジャッジをしたいと気を引き締めています。

2013/05/16

宵(酔)の散歩


うどんの太門さんの居心地が良いので心地良く酔い、かつ食す。

しかし、次のお客さんのために切り上げて宵の散歩。

外へ出ると七日月が輝いている。

少しの酔いと初夏の風と相まってとても心地よい。

そのまま東へ歩き丸山神社まで宵の散歩。

この神社のお稲荷さんは整っている。

神社とお稲荷さんの関係は複雑だが何十個かの鳥居をくぐって御狐さんの写真を撮る。

お参りしないくせに神社へはよく立ち寄る。

それは神域の心地よさと森(杜)を保護している歴史的価値への尊重。

帰りに大竹酒店さんへよって奈良の今西酒造「みむろ杉」の特別純米酒辛口露葉風むろか生原酒を購入。

この前、別の酒屋さんで買ったお酒が大失敗だったのでリベンジ。

帰って飲んでみると奈良のお酒らしいボディの強さがあった。

季節は移る


毎朝の水撒きが楽しい季節。

左からオリーブ、白アマリリス、ブラシの木、ブルーベリー。

オリーブの蕾は今にも弾けそう。

白アマリリスの蕾、いつの間にか膨らんでいた。でも4株のうち一つしか開花の兆候がない。

ブラシの木は最初の一花。今後に期待。

ブルーベリーはこれから少しずつ熟していく。まだまだ青い。

2013/05/13

Balconyの花

急に暖かくなり、Balconyの樹々にも花が目立ちます。


左側、空に向かうオリーブの花。まだ開花してはいません。

右側、葡萄の花が咲きました。
毎年実をつけますが、色づいた頃、鵯に食べられてしまいます。


今池動物園

昼食後、腹こなしを兼ねて吹上の青木酒店まで。

今日はいつもの鶴齢ではなく広島の賀茂鶴。
母の実家は戦前、造り酒屋だった。
その地区で最も有名なお酒が賀茂鶴。
これは樽酒と銘打たれている。

ついでに街を歩きながら動物の写真を撮った。
なぜならある餃子で有名なお店の向かいで咆哮している金色の象を発見したからだ。
その他目についた動物たち。

よく見れば街中にも動物たちは結構いるものである。


2013/05/11

初夏 目高 網戸

今年も俳句甲子園地方大会があるので、審査員をお願いしたいという連絡がありました。

名古屋地区は6月15日土曜日、名古屋市内で行われます。会場は未定ですが、毎年愛知県、岐阜県、静岡県から参加があります。

俳句甲子園とは毎年8月、松山市で行われる高校生のための俳句イベントで正式名称は

全国高等学校俳句選手権大会松山俳句甲子園

今年で第16回になります。

地方大会の優勝校はそのまま8月23日(金)~25日(日)松山で行われる本戦への出場資格を得ます。

大会に参加するためには前もって俳句を提出しなければなりません。そのための兼題というものがあります。今年の地方大会の兼題

 初夏
 目高(めだか)
 網戸

今の季節に相応しい兼題です。


さらに地方大会を勝ち抜いて全国大会へ出場するチームは別の兼題によって俳句を創ります。こちらの兼題はまだ公表されていません。



俳句甲子園の面白いところは季語という歴史の手垢にまみれた言葉に敢えて高校生たちが挑むことでしょう。彼らの若々しい感性が季語に染み付いた埃を払拭し、現代の季語として再措定され、同時に鮮度の際立つ俳句の誕生が期待されるのです。

また、俳句に興味を抱いた若者が次代の詩歌の世界に入ってくるきっかけにもなります。

俳句甲子園のHPに過去の最優秀句が掲載されています。第一回から順番に

 秋立ちて加藤登紀子が愛歌う   白石 ちひろ(愛媛県立松山中央高等学校)
 朝顔の種や地下鉄乗り換えぬ   森川 大和(愛光高等学校)
 裁判所金魚一匹しかをらず   菅波 祐太(愛光高等学校)
 夕立の一粒源氏物語   佐藤 文香(愛媛県立松山東高等学校)
 カンバスの余白八月十五日   神野 紗希(愛媛県立松山東高等学校)
 小鳥来る三億年の地層かな   山口 優夢(開成高等学校)
 かなかなや平安京が足の下   高島 春佳(京都市立紫野高等学校)
 土星より薄に届く着信音   堀部 葵(京都市立紫野高等学校)
 宛先はゑのころぐさが知つてをる   本多 秀光(愛媛県立宇和島東高等学校)
 山頂に流星触れたのだろうか   清家 由香里(愛知県立幸田高等学校 翡翠)
 それぞれに花火を待つてゐる呼吸   村越 敦(開成高等学校A)
 琉球を抱きしめにゆく夏休み   中川 優香(熊本県立菊池高等学校)
 カルデラに湖残されし晩夏かな   青木 智(開成高等学校B)
 未来もう来ているのかも蝸牛   菅 千華子(神奈川県立厚木東高等学校B)
 月眩しプールの底に触れてきて   佐藤 雄志 (開成高等学校A)

神野さんなどはすでに若手俳人として大活躍されています。
こうした感性の多くは若いうちに消費され、いずれは今のベテランと同じように陳腐な俳句を作るようになってしまいます。しかし強い創作意識を持続したり、批評精神などが芽生える人は詩人・俳人としての命脈を保つことになります。
そうでなければ私のように精神の中の一本の支柱として俳句と一緒に細々と歩んでいくという生き方もあります。

さて、今年はどんな俳句と出会うのでしょうか。
こちらの感性の錆を落として当日を迎えたいと思います。


2013/05/10

今朝のBalcony

知らない間にアイリスの仲間が咲いていました。
白と紺です。
昔から「いずれあやめかかきつばた」、漢字なら「文目か燕子花」と言い習わされているように正確な名前は分かりません。花菖蒲という種もあります。

数日前、知立の八つ橋の燕子花が咲いているという記事を読みました。業平由来の有名な燕子花です。しかしBalconyの鉢には蕾が見当たらなかったので開花はまだ先だろうと思っていました。

この花は以前施術に訪問していた御宅からいただいたものです。
クライアントは80歳過ぎの女性で脳腫瘍術後歩行困難になられた方でした。
その娘さんが株分けしてくださいました。
それから数年、その方は既に亡くなっておられますが花はこうして毎年きちんと季節をわきまえています。

赤いのは薔薇。これは購入したものです。
年中ポツポツと咲いています。
薔薇の近くの紫色の花はラベンダー。

上の紫はロンギカウリスタイム、道端で採取した蔦も青々と元気です。


2013/05/09

埴輪と土偶


静岡の登呂遺跡のお土産。
埴輪と土偶。
実はガシャポン。
可愛いです。

2013/05/08

桐の花

桐の木の花

オフィス隣の空き地に咲いている桐の花。今日も屋根より高いところで揺れています。

初夏を代表する花ですがあまりに高いところに咲いているので、下を歩いている人たちは案外気づきません。

この木の分身がオフィスで花開いたことは以前blogに書きました。



この桐は今池周辺では他を圧する大木でしたが、なぜか写真のように上のほうでばっさりと切られてしまいました。

それでも毎年、見事な花を咲かせるのですから木の生命力は凄いものです。

また、剪定するプロもその辺りのことは十分承知のうえでの切り込みなのでしょう。

花瓶に挿してある花はすっかり色褪せてしまいましたが、さすがに大地に根付いて樹からしっかり栄養を送られている木の花はまだ色濃く咲いています。

もう暫く楽しませてもらいましょう。





2013/05/04

今日のBalcony

素晴らしく晴れ渡った一日でした。

オリーブは勢いよく天に伸び、Balconyの植物たち、初夏の装いに輝いています。

今日お越しになったクライアントさんもBalconyを眺めて喜んでいました。
オリーブには花が付き、薔薇も咲きかけです。

葡萄ははっきりと房の形に膨らみ、ラベンダーは生き生きと風にそよいでいます。

小手毬はお役御免。

花びらが散り、蕊が目立って来ました。

もっともこれからが小手毬の生物としての本来の営みが始まるのでしょう。


連休も後半。そろそろ息切れが始まるのではないでしょうか。

けれども、私達のような小商いには連休は関係ありません。

日常の中のほっとする一刻を味わっていけたらいいなと思っています。


2013/05/02

ハナミズキ  一青窈


街のあちこちにアメリカハナミズキの白や赤い花が翻っています。
この木は日本から桜を贈ったお礼にアメリカから届いたものと聞いています。

この木をテーマに一青窈が書いた「ハナミズキ」という詞。
9・11テロへの鎮魂のために作詞したと言われています。
しかしそれを超えて普遍的な鎮魂と未来への祈りの曲となっています。

空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように



ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君と好きな人が
百年続きますように

君と好きな人が
百年続きますように

桐とスケルトン

レセプトなどの事務仕事に飽きたのでちょっとPicasaでお遊び。


左の写真はオフィス隣の空き地に咲いている桐の花。晴れ渡った蒼穹に向かって咲いていますが逆光で色がよく分かりません。

右の写真は枝打ちされていたものが開花したもの。
穏やかな紫が美しい花です。

拙句を一つ。

  いつからを夕空といふ桐の花  広志

真ん中の写真はただ単に戯れて桐と骨模型をコラボしてみました。
全く無意味です。
こちらはバルコニー。風が強く木々が揺れて焦点が合いません。

左からブラシの木、金雀枝(えにしだ)、紫蘭。

ブラシの木は真っ赤なブラシのような花が咲きます。蕾が一杯付いていますから今後が楽しみです。

金雀枝は1つだけ咲いています。
これから順に開いていくことでしょう。本当に金色の小雀のような可憐な花です。
西洋では金雀枝の枝で箒を作ったらしく、魔女が跨って空を飛ぶのはこの箒だそうです。

紫蘭は白と紫。木蓮も紫と白があり、紫は紫木蓮、白い方は白木蓮とか白蓮(白いハスを指すこともある)と呼びますが、紫蘭はどうなのでしょうか。

葉の緑と花の白・紫のコンビネーションは初夏を印象づけてくれます。

ハーブは,乳児ボツリヌス症の原因の一つ: タンボとハタケと

健康にいいという情報には気をつけましょう。

ハーブは,乳児ボツリヌス症の原因の一つ: タンボとハタケと:

'via Blog this'

2013/05/01

藍生五月号

今月の「俳句とからだ」は暦について。

どこに俳句とからだについて書いてあるだという突込みは厳禁。


五月一日

五月一日。

五月になると朔太郎の詩が思い出されます。

今朝はその詩の内容に相応しい日和でした。


朝、仕事前に時間があったので春岡の丸山神社まで散歩。

今日は市の日だったらしく、境内にはびっしりと店が組まれ、大勢の人で賑わっていました。

私の目的はブラブラとあることで、買い物やお参りではありません。

人混みを横目に神社の外側をぐるっとひと回りしてオフィスに戻りました。






















朔太郎の詩は以下の通り。

旅 上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに

特に最後の二行の調べは初夏の雰囲気をよく表現しています。

作者は若草の上を実際に歩いた詩も残しています。


五月の貴公子
若草の上を あるいてゐるとき
わたしの靴は 白い足あとを のこしてゆく
ほそい すてつきの 銀が草でみがかれ
まるめてぬいだ手ぶくろが 宙でおどつて居る
ああ すつぱりと いつさいの憂愁を なげだして
わたしは柔和の羊になりたい
しつとりとした 貴女(あなた)のくびに手をかけて
あたらしい あやめおしろいの にほひをかいで居たい
若くさの上をあるいてゐるとき
わたしは五月の貴公子である。


                      萩原朔太郎「純情小曲集」より

鮮やかな若草を踏んで歩いていけば人は一切の憂愁としばらくは決別できるでしょう。

この詩にでてくる「あやめおしろい」の意味が分かりません。何れにしても女性を象徴する香織であることは間違いありません。

私の今日の憂愁は、散歩に出る時に大竹酒店で何か一本買ってこようと思っていたにも関わらず、忘れて手ぶらで戻ってしまったことです。

拾ってきた桐の枝。花が開いてきた。