2009/09/25

経絡導引9・19 その2

Iさんからのレポートです。


手の厥陰心包経 ②③         

2009/09/19

板書事項


衛気(三焦)   空間

皮毛()    表層経絡

血脉()

肌肉()    深部経絡

筋肉()

()

心包経

檀中

中指

労宮~触 ふれる : 同化

     さわる : 相対的

触 アンテナ 触角 昆虫 探る

切 切り込む  対象に刀を当て深く浸透 共感する

  親切 哀切 切ない 切々 痛切

/ 趾  中心  頭

経絡で結ぶ 

  開く


三島註:

「この辺りは実技をしないと伝達は難しいですね。」


2009/09/22

経絡導引9・19

心包経 3回目

Kさんのレポート

経絡体操

経絡体操は、気持がよくなるので毎日続けるようにしていますが、今回の指導で気は、手・足先から体の中心を通って頭(百会)まで流れているイメージを持ちながら行うことと、外(宇宙)から気をもらったり、出したりすることを意識しながら行うようにしたい。

股関節のやわらかさ

野口体操の四股の運動をやっていますが、講座の中での、片足づつ前後にブラブラさせながら、内回り・外回り(中々うまくいきませんが)をやると股関節が非常にゆるんだ感じが得られます。

三島註:

「こうした実感を味わいながら身体と付き合うことが大切ですね。他の生徒さんもぜひ、体験を簡単なコメントにして送ってください。」


2009/09/17

愛知大学開講

愛知大学オープンカレッジ「東洋医療と経絡エクササイズ」は規定以上の方の申し込みをいただいたので開講が決定しました。
初日は10月8日木曜日。
資料の洗い直しに入ります。

2009/09/14

月天子

月の美しい季節になりました。
宮澤賢治に「月天子」という作品があります。



月天子
                      宮澤賢治

私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射していゐるのもはっきり見た
後そこがたいへんつめたいこと
空気がないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので
最後に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
――ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運動が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない



これは全集の「補遺詩篇Ⅰ」に分類されています。生前に発表した作品ではありませんし、きちんとまとめられたものでもありません。むしろ、どこかに書き散らしたものを後から編集者がほじくり出してきたものです。有名な「雨ニモマケズ」も同様です。こうして人目にさらされることを賢治自身が望んでいたか否かは定かではないのです。

この作品のお面白さ。
それは前半、月が科学的に解明された事実を明記しながら、それでも月天子という宗教的情操にそって敬うことになんら迷いはないという思いを述べていることです。

月天子とはwikipediaによると
月天(がつてん、がってん、Skt:Candra、音写:戦達羅、戦捺羅、旃陀羅など)は、仏教における天部の一人で、十二天の一人。元はバラモン教の神であったが、後に仏教に取り入れられた。正しくは月天子で、月天はその略称。月宮天子、名明天子、宝吉祥との異名もある。やその光明を神格化した神で、勢至菩薩の変化身ともされる。四大王天に属し、月輪を主領して四天下を照らし、また多くの天女を侍(はべ)らし、五欲の楽を尽くし、その寿命は500歳といわれる。形象は、一定しないが3羽から7羽のガチョウの背に乗り、持物は蓮華や半月幢を持つものがあり、として月天后を伴うものがある。両界曼荼羅や十二天の一人として描かれることがほとんどであり、単独で祀られることはほとんどないようである。」
とうことで、勢至菩薩のことをさすようです。

月の光の神秘さは古代から信仰の対象となっています。月光菩薩もそうです。
こうした神秘に対する畏敬の念と、科学による真実との間になんら矛盾はないというのは、賢治が「宗教と科学と芸術」の同一を目指そうとした生き方そのものに現れています。

わたしのように身体に関わって生きている者にとっては、ましてや東洋医療という非科学的、非正統的医療に携わっている者としては

もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに


というところ。まことにわが意を得たりと感服する次第です。

2009/09/12

経絡導引9・5

心包経 1回目 2009.9.5

Kさん

先生の資料の中で「労宮」は、気功や手当法で、重要な意味を持っていると記されており、「気のおにぎり」を身体にしみ込ませることが触れることの基礎ということですが、指先についても、意識を指先に持っていけば、「気」を指先に集中させることができる感じです。

三島註:

「おっしゃる通りです。意を持って気を動かすことができればどこでもかまいません。合気道の達人など背中や腰で相手を軽々と飛ばしてしまいます。間合いとタイミングが絶妙だからです。

労宮の重要性は掌つまりタナゴコロの中心であること。足の中心アナゴコロが湧泉、頭の天辺に百会、躯幹の中心に丹田があるように身体構造の指標となるポイントであることです。これらの意識、実感を通じて解剖学ではない身の構造を構築し、次いでそれを自在に操る練習をすることです。意識の場所を分散しては元ができません。まずは労宮を体感し、そこでモノに触れる。触れるとは触れられること。この感覚を味わいたいものです。本当に触れるということのむずかしさが分かってくると思います。」

2009/09/08

食糧自給率を考える・・愛知学院モーニングセミナー

第42回愛知学院大学モーニング・セミナーへ行ってきました。
今日のテーマは食糧事情。
日本の食料自給率39%を考える―世界の食料需要トレンドから見えるもの―』
講師は名古屋市立大学大学院経済学研究科教授 向井清史先生

例によって詳細は愛知学院大学のHPに掲載されます。資料と動画ですから参加されなかった方も同じセミナーが受けられるわけです。
したがってここでは要点だけ。

1.日本は他国に比べて自給率が低い上に、唯一傾向的にていかさせている
自給率の計算にはカロリーベースや金額、重量ベースなど様々あり、一般的に言われている自給率はカロリーベースつまり供給熱量ベースだそうです。これが一番生存に直結するからです。
品目別にはコメが90%の自給率。小麦と大豆はほぼ輸入に頼っています。
セミナーの後、何故そんなに輸入に頼っているのかという質問がありました。その答えは値段の違いと生産に適した気候の問題だとのこと。
確かに国産の小麦粉では美味しい讃岐うどんは作れないと聞いたことがあります。スパゲッティ然り。

2.何故、自給率が低いと問題なのか?
食品は必需品で毎日必要。一時の不足も許されない。昨年は投機や代替エネルギーで穀物価格が暴騰しバングラデシュ、フィリピン、エジプトなど20カ国で暴動があった。
国際的には基礎代謝量の1.54倍の自給が最低水準だとされています。基礎代謝量とは寝ていても消費する熱量のことです。

3.何故、日本の食料自給率は低下したのか。
  A、食生活の欧米化によりコメの消費が減った。これは極めて珍しい例。
    多くの国では宗教や習慣のため、食生活に激変はない。
  B. 生産基盤の脆弱。
    農業従事者の減少と高齢化 
    耕作面積の縮小と空洞化
    総産出額の減少:生産の絶対的縮小と農産物価格低下
  C. リスクに弱い農業構造
    世界市場の不安定化が農家の減少を招く
農業で食べてはいけないというのが大きな原因です。外国からは格安の農産物が入ってきますし、天候の影響で収入が不安定ですから。世界の市場原理と環境的制約によって従来のやり方では農家が立ち行かなくなっているのです。
しかもコメの消費量はこの40年間で半減しています。これではコメ農家も政府の援助なしではやっていけないでしょう。相当広範な農地を用いて効率を上げていくしかありません。従来の個人農家では自家消費分が精一杯です。
農家戸数はここ20年で半減。しかも農民の半分以上は60歳以上ですから、農業に明日はあるのか心配になります。

では今後どうしたらいいのでしょう。
講師のお話では我が国が傾向として食糧不足に直面する可能性は小さいが、自給力を維持することが必要だとのこと。
自給率を上げることより、自給力を維持するとは耕地の確保と農業後継者の育成でしょう。また、地産のものを消費することが生産者を助けることになりますし、無駄な石油エネルギーを用いて運ぶ手間も省けます。これが自給力の維持につながることと思えます。
しかし戦争や天災があれば輸入が難しくなります。自国だけの生産は天候不順で一気に吹っ飛ぶこともあります。政治力で多くの国から輸入することで購買路を確保すると同時に、いつでも増産できる体制を維持することが肝心なのでしょう。

最後に水の問題を説明されました。日本は作物を輸入することによって実は膨大な水を輸入していることになります。コメ可食部1キロに水は3.6トン必要だそうです。現在日本は年間627億立方メートルの水を輸入しているのだそうです。これもまた心すべき問題です。

その他、放出窒素の問題もありました。
このレポートは先生のお話と私見が入り混じってしまいました。
ぜひ、愛知学院大学のHPの資料もご覧下さい。





2009/09/05

経絡導引8・29

足の少陰腎経 ④       

2009/08/29

Iさん

板書事項

予備動          ゆらぎ           経絡導引

足趾           体内の水の記憶

足関節          垂直軸

手関節 小手返し     経絡伸展体操

下肢経絡         増永式経絡体操

上肢経絡

関節を動かしたり擦ったりする

三島註:

「経絡導引の一連の流れを整理しました。

これからもっときちんとしたものにしていく予定です。」

実習の中で感じたこと

□朝 起き抜けにするといい体操の中で 

片目を完全に塞いで眼球の運動をする   今までにない感覚を味わう

□ゆらぎ 体内の水の記憶

作った柔らかさでなく 体内の水の動きにまかせる」というアドバイスはありがたいものでした。少し動きが変われそうです。

2009/09/03

「奥の細道」をよむ

長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』(ちくま新書)を読みました。

著者、長谷川櫂氏は私とほぼ同年。俳壇内外で精力的に活動しておられます。氏は東大法科から読売新聞記者というエリートながら、一念発起して40代で俳句一筋の生活を送っておられます。
俳句創作はもちろん、俳句論や一般の読者も楽しめる季語の本など多くの著作があります。また、朝日新聞の「朝日俳壇」選者としても知られています。

長谷川氏とは面識がありませんが、30代の一時期、二人とも平井照敏主宰(故人)の『槇』という結社に所属していて名前は知っていました。その頃からすでに俳壇的活躍もされており、私たちの世代を代表する俳人としてみるみる頭角を現されたのです。

近年は「古池に蛙は飛びこんだのか」という論を発表して俳壇に波紋を投げかけました。これは芭蕉が俳句開眼したとされる

 古池や蛙飛びこむ水のおと

という句の解釈。以前から様々な解釈はあるものの一貫して古池に蛙が飛び込んだという実景だとされてきました。ところが氏はこれを否定します。芭蕉は蛙が飛び込む水の音は聞いたが古池は実景でなく想像である。つまり「蛙飛びこむ水のおと」という現実から導かれた「古池」という心の世界だというのです。長谷川氏はこれを単に推察したのではなく芭蕉の弟子の支考が書いた『葛の松原』という俳論集から解き明かしています。

「古池の句は蛙が水に飛びこむ現実の音を聞いて古池という心の世界を開いた句なのだ。この現実のただ中に心の世界を打ち開いたこと、これこそが蕉風開眼と呼ばれるものだった。」(41ページ)

と氏は書いています。そして「奥の細道」の旅はこの世界を深めるために挑戦したのだと説きます。この件はなかなかスリリングな展開ですが、俳壇にも賛否のさざ波を立てました。

芭蕉の流派を蕉風といいます。それまでの俳諧は文字通り諧謔的な滑稽を旨としていました。芭蕉は古池の句を通して新しい風雅の「誠」の世界に目覚め、蕉風を起こします。その最高の境地が「不易流行」であり「かるみ」です。

長谷川氏はこの本で『奥の細道』の構造に秘められたさまざまな仕組みを解明していくと同時に、芭蕉がその旅の過程で境地をさらに深めたことに気付きます。旅中の人との出会いや別れ。何より壮大な大自然、宇宙の運行との遭遇。これらが芭蕉をして芭蕉ならしめたのです。

「不易流行」は芭蕉の説いた俳句論です。「不易」とは不変的なもの、「流行」は刻々と変化するもの。物事にはこの両面があるが「其元は一つ也」ということです。これは不易と流行のどちらがいいということではありません。現象は刻々と変化しているが宇宙の運行は不変であるというある種の世界観です。これを長谷川氏は

「人の生死にかぎらず、花も鳥も太陽も月も星たちもみなこの世に現れては、やがて消えてゆくのだが、この現象は一見、変転きわまりない流行でありながら実は何も変わらない不易である。この流行即不易、不易即流行こそが芭蕉の不易流行だった。」(189ページ)

と書いています。壮大な論立てで感動的です。

そこかららさらに「かるみ」へと進みます。「かるみ」とはまさに軽み。これは俳句表現を重くしないで軽くしようということだと考えられていました。重い表現は「おもくれ」として嫌われるのです。この「かるみ」を長谷川氏は次のように説明しています。

「人生はたしかに悲惨な別れの連続だが、それは流行する宇宙の影のようなものである。そうであるなら、流行する宇宙が不易の宇宙であるように、悲しみに満ちた悲惨な人生もこの不易の宇宙に包まれているのだろう。
そう気づいたとき芭蕉は愛する人々との別れを、散る花を惜しみ、欠けてゆく月を愛でるように耐えることができたのではなかったか。これこそが『かるみ』だった。」(196ページ)

旅での別れや大自然との出会いで得た悟りのような境地。これが「かるみ」であって、単に軽く表現するということではないのです。

長谷川氏は若い時から俳句論を宇宙論として説いていました。それが年齢を重ねることでより深く、より身近になったのではないでしょうか。

氏は以前ほど難しい俳論は書かれていないような気がします。むしろ深いことを軽く表現しているように思えます。日本文化の中の俳句を深く追求することでそこに宇宙的広がりを見出す。これは芭蕉の俳論に共通するものだと思えます。